今回は、福沢諭吉の有名な一節とされている「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」というフレーズの本当の意味について触れてみたいと思う。
このフレーズは福沢諭吉の「学問のススメ」の中にある一節であるが、「人間は平等なんだよ」という意味で用いられることも多い。
お金持ちはよりお金持ちに、貧乏人はさらに貧乏人になる今の世の中って不公平だよなぁ…
なんて嘆いていると…
そんなことはないよ。福沢諭吉も「天は人の上に人を造らず…」って言ってるし、がんばっていればきっと報われるよ!
という主旨のことを言われた経験はないだろうか。
もちろん彼に悪気はなく、励まそうとしてかけてくれた言葉だろうと思う。
しかし実は福沢諭吉はそんなこと一言も言っていないのである。
というのも、本来福沢諭吉の一文には「されども」という言葉が続けられている。
ここにつづられている本当の意味は、なかなか厳しい現実を言い表わしている。
ということで、今回は「人生は不平等だなぁ」と嘆いている人にとって、毒にも薬にもなるお話になるかと思う。
天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず…学問のススメの本当の意味
「人はみんな平等なんだ!」
という意味に捉えられがちな「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という言葉であるが、実際には「されども…」と次のような文章が続けられている。
人は生まれながらにして貴賤貧富の別なし。
ただ学問を勤めて物事をよく知るものは貴人となり富人となり、
無学なるものは貧人となり下人となるなり。
この一節の意味は次のような内容となる。
つまり、「人生に差が生まれるのは、学問をするかしないかによる」ということが本当の意味するところ。
福沢諭吉は「みんな平等だ〜」って博愛主義のマザーテレサみたいなことを言ってるわけではないのである。
なんで誤解されて広まったんだろう
都合の良いところだけ切り取って広まるって悪質なマスコミのようだ。きっと人相も悪いに違いない、私と違って。
…。
ちなみにこの「学問」というのは、学校の授業で習うようなものをイメージしがちかもしれないが、現代風に言い換えれば、それだけではない。
例えば、読書で実生活に役立つような知識、対人関係におけるコミュニケーション術を学ぶことも学問と言える。
さらに最近で言えば、お金を稼ぐ方法もそう。
- プログラミング
- アフィリエイト
- 転売
- クラウドソーシング
こういったスキルやノウハウも学問に含まれるのではないだろうか。
以上に挙げたような学問をするかしないかで、人生に差が生まれていくというのが学問のススメ『天は人の上に人を造らず…』ということなのである。
変化の激しい現代では、これまでのお手本とされていた、いい学校行って、いい会社入って、というような生き方はもはや当てにならない。
受け身で生きていたらだめで、学んで行動していく人とそうでない人の格差はますます広がっていくことになる。
過去にイチローが「自分で自分を教育しないといけない時代に入ってきた」と言っていたのも記憶に残っている。
これからは変化に対応できるように学問を身につけ、新しいライフスタイルを創造していく胆力が大事になってくるのだろう。
令和時代にも「学問のすすめ」の考え方は使えるはずじゃ。
人生は本当に不公平か?
そんな厳しいことを言っている諭吉さんも、「人間は生まれた時には平等である」というところは認めていたりする。
ちょっと待ちなさい。「生まれながらに平等」とは言っても、生まれた家が金持ちが貧乏かですでに平等じゃないでしょ〜。私は金持ちの生まれだけど。
そんな意見もあると思う。
これはたしかにその通りで、現代では生まれた家が裕福であれば、いろんなことを学ぶチャンスが多かったり、環境が整っていたりする。
逆に貧乏な家だと、家庭環境が悪かったり、親が仲悪くて精神衛生上よくない、家計を助けるために早くから働いたりと学ぶ機会が少ないということも大いにありえる。
ここでの本質的な問題はお金の多い少ないじゃなくて、「学ぶ姿勢を身につける」までに格差が生じているというところになる。
かつてSNSでも話題に上がったこちらの動画を見れば、その様子をわかりやすくイメージできると思う。
よく「努力できるのも才能だ!」みたいな主張を目にすることがあるけど、これも環境に不公平を感じている人が持つ不満から出る言葉だと思う。
僕もかつてはそのように考えていた。
幼い頃から恵まれた環境で育った人は、そうでない環境で育った人と比べて前向きというか、根が純粋というか、努力する土壌が整っていることが多い。(僕調べ)
僕はどちらかというと、いや、どちらかっていうか、振り切ってひねくれているので、そういう恵まれた環境で育ったであろう人を見ると、眩しくて直視できないと感じるときがある。
ゴン…お前は光だ
だから、「やっぱり人生は不公平だ!」「努力できるのは才能だ!」という気持ちはけっこう分かりみが深い。
そこそこ幸せになりたいなら学問するしか道はない
やっぱり人生は不公平。努力できるもの才能。
そう嘆きたくなる気持ちはよく分かる。
だけどよくよく考え直してみてほしい。
このまま、「やっぱり人生は不公平だ、ふざけるな」という考えで過ごしてて何かが変わるだろうか?
嘆いていれば、周りがなんとかしてくれるだろうか?
不平等だったね、いけなかったねって言って、お金くれたりするだろうか?
ほとんどの場合、周りは何もしてくれないし、思ってるだけでは何も変わらない。
みんな自分が生きていくことだけで精一杯で、いちいち他人にかまっていられないのである。
学問のすすめの中で、福沢諭吉は「人間が不平等になるのは当然のことで、学び、知識を得る者だけがその格差を埋めることができる」と言っている。
このことをまず真摯に受け止めて、これからはそういう風に生きていこうと考えたほうが間違いなく建設的と言える。
これを受け入れるにはそこそこ強いメンタリティが必要になるから人を選ぶかも知れないね。
私は物心つく頃には受け入れてたけどね。
もし今は素直に受け止めることができなかったとしても、今回知ったことを頭の片隅にでも置いておいてもらえたら嬉しいなと思う。
何から初めていいかわからない人へ
では一旦、今回お伝えした内容を振り返ってみよう。
- 福沢諭吉「人間は生まれた時には平等であるが、その後は勉強する者としない者で格差が広がっていく」
- イチロー「自分で自分を教育する時代になった」
それぞれこう言っている。
そう言われても何から始めていいかわからないって人もいると思う。
いろいろと方法はあるけど、その中の1つとしてまずオススメしたいのが読書である。
え〜読書かよ!そんな時間ないよ、活字がそもそも無理…
こんな声が聞こえてきそうである。
たしかに、読書ってしっかり時間とってイスに座って…と読むのに環境整えなきゃいけないのがネックではある。
しかし、今はそんなことしなくても読書で知識を身につけることができる。
『音声学習』の登場だ。
といったものが業界シェア率が高い。
本の内容をナレーターが読んでくれるので、イヤホン突っ込んで聞いてるだけでいいのである。
手とか、身体ってリソース使いまくりだけども、耳って意外と持て余している。
忙しい現代人がこれを使わない手はない。
サラリーマンの人なんかは通勤途中とか、営業で外回りの時とかスキマ時間で気軽に聞くことが出来る。
音声学習で思考をアップグレードしていこう
僕自身、通勤時間は音声学習一択である。
流行りの音楽も、暇つぶしのラジオも一切聞かない。
この人たぶん話盛ってるわ…
空いてる時間でスマホゲームなんて以ての外。
何も持たざる者が、まず初めにできることは泥臭い努力の積み上げのみである。
何もせずに運だけで人生が好転していくと思わないことだね。
私はセンスのみでやってきたけど。
脅すつもりはまったくないけど、格差がより拡がっていく社会でそこそこの幸せを掴みたいのであれば知識を身につけるのはもはや必須と言える。
しかも音声学習にコストをかける必要もない。
今ならアマゾンオーディブルが1ヶ月無料で聴き放題、できるようになっている。
気に入らなかったらすぐにやめてもOKなので完全ノーリスク。
『Amazonオーディブル』はここまでの環境を用意してくれている。
あとは本人が始めるか、始めないかだけの領域である。
まとめ
以上、「人間は不平等ではあるけど、それは自分の行動次第で変えていくことができる」
ということについて触れてきた。
何から始めて良いかわからない人は、まず読書をしよう。
さらに時間が取れないって人は音声学習を取り入れよう。
今回お伝えしたような、知ったことを少しずつでも取り入れて実践していく。
こうすれば少なくとも、何もしないまま、不満をもらすだけの日々を過ごすよりは人生は好転していく可能性は高まるだろう。
お金持ちの人ってだいたい読書を勧めてる気がします。
こんなことを言っておきながら僕自身、未だに世の中不公平だなぁと感じることは正直ある。
でも、嘆いていても仕方ないので、日々勉強・行動の姿勢を大切にがんばってる。つもり。
何も持たざる者でも、努力の継続でどうにかできるってこと。
そんな僕らの雑草魂、見せてやろうではないか。
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